construction

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「工場萌え」はなんとなく。

わかる気がするんです。
昨日PCを組み立てていて、そこではまったく萌えませんでした。規模の話ではないと思います。
それで、「ブラックボックス的要素と知的好奇心から」萌えるんじゃないかと考えて、納得がいって、電車の中でほくほくして帰りました。
おかげで今日のテストのことをすっかり忘れることができました。もうほとんど覚えていません。

何もかもわかっていたなら、想像を働かせる余地がない。

工場の中の人はほぼ知っている、全容を、建物の外だけを見る他の人は知らないんですよ。
だから、「あの煙突なんだろう」「あれは全部〇〇なんだ!」「なんで光ってるんだろう…」って、勝手に思う。
妹が言ってたのですけど、群馬のカルピスの工場のいくつもあるタンク、「全部カルピスが詰まってると思ってた」そうです。そういう発想はわからなくもない。
理論的に考えたらきっと「そんなのあるわけないじゃん」なのですが。いや、あれに詰まってるのは原料の牛乳かもしれないけど。


さておき。「なんであんな風にわけわからんものがにょきにょき生えてるんだろう」と思われる煙突やタンクには、絶対意味があるのです、工場だから。
工場の名前や所有する企業のことを知ったって、なんとなく想像して勝手に話を作る。
どうしてそうなったのかわからない。何をしているのかもよくわからない。だったら、その姿形をきっかけに話を作ったって、それを話さなければ誰にも否定されないでしょう。
そしてライトアップされたらきれいと思う。そういう感覚を萌えとは呼ばないのでしょうか…。


姿形は見えていて、中身はわからないからプラックボックス(入力と出力がわかっている〜とかそういうのは置いておいて)。
気になって想像するのが知的好奇心。
中身丸わかりのPCを組み立てても何も思わない。だから「そうなのかな?」と思った。


ついでに、機能美がきれいやかわいいとイコールなのかは、私の中では結論が出ていません。