きりさめの。

突然ですが、小話でございます。
今回は、湊&吏季のお話。本編には関係ないと思われます。
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【無題】

霧雨が降りかかる。
「結構濡れますね」
つぶやきはため息に似ていた。


今日に限って電車で来た。鞄にあるはずの折りたたみ傘がない。
駅の軒先でぼけっとふたり立ちつくしていても仕方ないのだから、「行きましょう」とどちらともなくそこから歩きだした。


坂道を下りつつ、それでも大して歩かないうちに、彼のかけていた眼鏡はみっちりと水滴で覆われてしまう。彼はだから少しぼやいて、シャツの胸ポケットに眼鏡を落とした。先程まで特に表情と言う表情はなかったのだが、今は苦笑をにじませている。
ふと、彼は足を止めた。
つられて隣の彼女も止まる。雨のせいで少ないとはいえ、往来の真ん中で。
「先生はそこのタクシーで先行っててください。すぐに追いつきますから」
微笑みを浮かべる彼を無視して、彼女は灰色の雲がたれこむ空を見上げた。
量の多い長い髪がしっとりしていて、いつもより動きが重い。
「吏季は歩くの? ひとりで」
「そのつもりですけど。…近いですから、気にしないでください。先生の方が濡れたら大変でしょう? 今回はピンナップの撮影もあるし」


そうかしら。


声にならなかった言葉は、彼女によってこんな台詞に姿を変えた。
「だから何? 歩いてそんなにかからないなら、タクシー代がもったいない。濡れるのが嫌なら傘を買えばいい。
――『これっぽっちの霧雨で?』
そう思うならちゃきちゃき歩け。…私ひとりじゃ道が判らないんだから」
彼女の体調だとか、見た目のことにめぐらせていた頭と実際にさまよわせていた視線が今ぴたりと彼女の発言に合わされて、彼が止まった。
いつもぶすくれるようにくちびるをとがらせずに、ああ。
(まゆげが、目が、毅然としたあなたの顔をつくっている。)


「……すみません。今、ご案内します」
舌を軽く噛んだけれど、言うべき言葉はこれで正しかったと、彼はふたたび歩きだした彼女の横顔から感じた。
だから、さっきの今でまた地雷を踏まないように、なにげなさをよそおって口をひらく。
「その、ストール、」
「? ああ、これ?」
電車の中は冷房がきついから、肩にかけていたそれを今彼女は乱雑にたたんで右手にしっかりと握っていた。
今こそ肩を冷やす雨をさえぎるべきではないのか?
「かしてください」
「要るの? 何に」
手を出すと首をかしげつつ素直に渡された。
何に必要かってそれはこんなふうに
「せめてかぶっていてもらえませんか…」
雨をよけるために。
ぽかんとして彼を突然姿をあらわした珍獣かなにかのように見ている。
その人の体調を気遣うのも彼の仕事なので。
それ以前に、ヒトとして放ってもおけないから。
「意味はあんまりないかもしれない、ですけど。でもこれだけは」
ゆずれません。ここが妥協点。


続けようとした言葉を奪うのは白い布。
真っ白かった視界が半分だけひらけたとき、彼女は笑った。
「これは吏季の方が似合う。赤い髪に映えるもの」
この言葉の裏側に、故意も他意も、裏側すらないことは、実は彼が一番くらいに良く知っている。
茶よりも赤の印象が強い色味の髪がいつもよりこころなしか暗く見えて、彼女は毛先で結びかけていたしずくをひっぱって払った。
「…そんなことないですよ。湊さんの黒の方がよっぽど」
「それはありがとう」
「これ、すごく恥ずかしいんですけど」
「私も一瞬だったけど恥ずかしかった。顔とか見えないようにちゃんとかぶっときなよ」
「――雨、平気ですか?」
「平気だよ。というか、雨に濡れた方がきれいなものってたくさんあるもの」
汚れを流してくれるから、空気。窓ガラス。
上がれば虹だって架かる。不思議ねぇ。なにげない景色が少し変わって見える。
そうね、おとこのひとだけじゃなく、おんなのひとも?
「ああ、くもの巣がいっとうきれいに見えるかもしれない。きらきらして。レースみたいね。…そういえば」
そのストールに似てるかもしれない。
彼女がそれに手を伸ばす。
濡れて冷えた指先が、頬に当たってびくりと震えた。
覆い隠されて見えなかったところに、うつくしいものをみつけたから、雨よけも今はどかして。彼女の指差した先を見てみたい。
高台の聖堂の植え込みには白い珠飾りのついたレース編みがいくつもいくつも,かかっていた。


のろのろと傘のぶつかりあう道をゆく。
会話は自然、雨によって綺麗になるものをふたりして挙げつづけるゲームになる。
ふざけあって、近いはずの目的地まで20分間もかかって。それでも。
水たまりをまたいだら、もう出版社の前まで来ていた。


【End】

postscript

短い文章としてこのくらいの量が自分的に一番書きやすく、
また読者さんにも読みやすい量だと思います。


…実は、なぜか舞台がリアル某駅付近であります。
判んないだろうなぁ。


ひさびさに湊さんと吏季、そしてSSを書いたので、
『力量見せたいな』とか思ったのですが、無理くさかったです。
でも気負わずに、ネタとしても書きたいことを書けた感じです。
勢いのせいで言葉はぐちゃぐちゃですが、いかがでしょう?