かなわない。

前回の駄文は時間勝負でしたが、今回は前に作った話をチェックしてアップします。
親子の話とも、恋愛の話とも…なんか毛色がちがうような。
とにかくこの時期のおはなし。


前回より短く、2542文字。
製作期間:2008/12/29(Mon)〜2009/03/15(Sun)
途中まで書いて3カ月ほどほったらかし、また書いて完成させた代物です。


よろしかったら続きからどうぞ。

【かなわない】

毎日皮膚をすり減らして生きてる。


白い巻き毛に埋もれたリードをほどいている横に立って、「お待たせしました」の声を降らせる。
しゃがんでいた彼はびっくり顔でこちらを見上げた。遅れて頬がゆるむ。
「待ってないよ。久しぶり。…せつなは、元気にしてた?」
一瞬聞き逃してしまった。せつな。…自分の名前だ。
「それなりに。お父さんとましろは、「元気だ」って暑中見舞いもらったから知ってる」
だから彼女は、言葉を継ぐまでにかかった時間が、コンマ数秒であればいいと思った。
「うん、今年は写真を撮ったから。ましろももう10歳になるから、記念にと思って」
漢字にすれば「真白」と書く犬を撫で、微笑んだまま彼は立ち上がった。
違和を感じたかどうか、その表情からは読み取れない。ましてや逆光になって少しまぶしいのだ。
「行こうか」
ましろを撫でた手で前髪をすく。
言葉に反応する小さい体は赤い紐の長さだけフライングした。飼い主とその娘はそれを許して歩き出した。


葉のない桜の木ばかりのさみしい土手を行く。
からからに乾いた冷たい風ばかり吹きつけてきて、せつなは目を閉じがちにしている。
触れれば芯から凍ってしまいそうな川の流れだけがひどくにぎやかに映った。
それは父親にとっても同じだったようで。彼も、川のにぎやかさに引けを取らない、
夕焼け色に染まった愛犬の背中を眺めた。
「お母さんは、どうしてる?」
すぐ隣にいる娘の肩がぶれた。
「今夜は夜勤だから、帰ってこない」
どうもそうらしいことは聞いている。父親はだから口元を埋めていたマフラーを
下ろし、せつなをきちんと見て言った。
「風邪を引いたりしてない?」
見事に顔を曇らせるので、「このこはこうこんなにもわかりやすくて大丈夫だろうか」などと失礼なことを考えた。
「「晴希さん」の方が風邪引きみたい」
せつなは、あたたかい場所に押し込められていたせいで鼻先の赤い男を、ばっさりと
切り捨てた。
「元気でいないといけないみたいに毎日働いてます。知ってるくせに」
こぼした言葉の強さだけ、息が白くなった。
「…うん、ごめんね」
知っている、ことを肯定も否定もしない返事が、細い眉を吊り上げさせる。
「今日は一緒にいられないからって、昨日はレコード大賞が終わるまでって、ずっと手をつないでた」
「そう」
「40過ぎたお母さんが、娘にねだるほぼ唯一なら、叶えてあげるに決まって」


ない。


「…決まってないの?」
「決まってないんですよ。それがまた」
不意をつけたことが余程うれしかったらしい。娘の悪そうな顔に父親は、一瞬ではあるが母親のそれを垣間見た。
「晴希さんと12月30日を過ごして、母さんと大晦日を過ごすっていう時がいつか来るなら」
父親だからうれしいのではなく、誰かを驚かすことができたなら同じような顔をしたに違いない。
…ただなりをひそめていただけで、本当は腹の黒さに自信があった。
「お母さんが病院の仕事を大晦日に何故か必ずもらってくることに対して、疑問はない?」
「…ある。けど、ない」
娘の答えはどこまでも正直だった。
「そうですか」
晴希はせつなの手をそっと握った。


「教えてくれないの?」
「疑問があるかどうか聞いたんですよ?」
「…質問に質問で答えるのは良くない」
「そうだね。以後気をつけます」
むっつりと黙りこくって、次の攻撃の糸口を探っている。
かすかに微笑んでいるのはお互いさまで、歳が離れすぎていることを忘れれば痴話喧嘩に見えただろう。
「…もっと、やさしいひとなのかと思ってた」
「それ、は。娘に言われるとちょっと」
「ダメージ? 本当は彼女が言うようなセリフだよね」
やさしいだけのひとのように、見えるし実際ほとんどそうなのだが、母親に対し変な対抗意識を燃やしているらしく、つないだ手は恋人つなぎなのだ。
「恋人にはなれそうかな? 僕たちは」
「どうかなぁ…私のこと、お母さんに似てていやだとは思わない?」
晴希が、娘としてでなくせつなを見て、恋人にしてもいいと思えたら。
「いやということは、ないよ。ただ…せつなの恋人が嫉妬するほどなかよしな親子止まりで。それ以上には、なれないと思うなぁ」
もう、お母さんを好いていないということになるのかもしれなかったから。
「恋人って、意外とあっさり変わるものでしょう? …それよりも、娘の方がずっと稀なもので、重みだって違う」
せつなの手はずいぶんあたたかいらしくて、晴希の指先をうんと冷たく感じた。
「私は、お父さんの中では結構重いのか」
「比重がね」
「お母さんの中では、もしかして私、軽い方かな」
自嘲ぎみに言えば、父が否定することはわかっていた。
「三ヶ月で別れる恋人なんかよりずうっと重いよ」
「…お父さんもそのくらいで愛想尽かされちゃうの?」
困ったように笑う。正しいらしいとしか思えない。
「ほったらかして、それでいて思い出したように会おうとするから、嫌われちゃうんですよ」
娘にも。
「浮気されてもなんにも言わないでいたら、「なんで何も言ってくれないの?」って怒られて、喧嘩みたいに」
「喧嘩…仲直りすればいいのに」
「仲直りは「浮気してもいいよ」じゃあだめなのかな? 僕は浮気って言うか、ずっと前からの本命がいるから」
女はいようといなかろうと、結局どうでもいいことらしい。
「その人が一番に好いてくれてるのなら、別にいいと思って。…今もそう思ってるから」
手をつなぎなおす。せつなは引っ張りやすいように、彼の長い指をつつんだ。
冷たく思った肌はなめらかで、なぞれば骨の形がわかった。
「本命は、…お母さんなの?」
「…じゃあせつなはさ、僕がまだあの人に好かれていると思う?」
答えられない。
もし自分が、母親の一番でなかったら。父親の一番でもなかったら。
結局、誰が一番でも。
「好きだとしたら、ずっと浮気するの」
選んでもらえないなら、選べばいいのか。自分の中の一番に。
「うわつかないよ。あっちが浮気をつづけるから、待ってるだけ」




節が目立つ指は、父親に似たらしい。けれども触ればよっぽどやわらかい。
つないだ手を、誰かに重ねたりしなかっただろうか。あの人は。この人は。…いや、ふたりとも。
昨日つないだ彼女のかさついた、傷口に引っかかればいたいであろうあかぎればかりの手のひらを、もう片方の手に今、つないだとしたら。
自分はどちらを好きだと思う。


【end】