風呂敷の上の小話。

寝てないと体重が減るのか?
カラダのあちこちがぎこちない。寝れば治るかな。


01:55就寝、09:25起床。まだ寝足りない。
けれどくすぐられて爆笑したあとではさすがに二度寝はできない。


花粉症ではないようだけど、調子は良くない。
昼過ぎに東のエデン総集編を見る。
見直すと、忘れてることが多いって気づかされる。映画を観る前に見た方が良かったかな?
終わった直後にTV画面が国会中継に切り替わった。
シュールだなあ、と思うのは自分だけか。


義務づけられている会計報告のまとめなど。
通帳見て吹いたり、悩んだり。いつPC買おう。お金なさすぎ。


そういえば、ミスタードー●ツでドーナツ1個とコーヒー1杯が90円のチケットを配る日だったけど、結局外出しなかった。


夜は会議。すぐに終わった。

風呂敷で正直な話をくるむ

「ネタが少ない」という話をしようとメモが書かれている。
ところがそのネタの詳細を覚えていないわけだ。
どうしようか、とは現在進行形で思っているけれど、風呂敷広げて最後にきっちりまとめられればいいかな。
大した大きさはないはずだ。そもそもお題がアレだしね。


手持ち(ポ●モン思い出した)を挙げてみる。

・失敗学
・知恵の輪
・お茶の話
・爪切り

さっさと浮かんだのはこれきりだった。それも上みっつはこの日記の。爪切りだけ小説のネタ。
(そもそも前日の日記に触発されたものだったっけ?)
ああ、もうひとつ思い出した。

・幼馴染の家


それにしてもすべてが言葉そのままの意味のわけがなくて、ひとつずつネタにしうるエピソードや動機がなんとなく存在する。
さらしたら誰かに使われる―とか以前は気にしていたけど、そんなの自意識過剰だった。
「言葉そのままの意味」が全員に共有されるものであったとしても、エピソードや思いつくことまで一緒なわけがないから。
「自分以外に思いつくわけがない」ネタならいっそ、誰が見たって斬新であることを確かめるために、披露してもいいはず。
(自分自身は、上のようなことを考慮してはいません。念のため)


箇条書きにした5つの単語には、並べ方に意味がない。
関連がない。
独立した話が存在する。
または、話の中に何度となく登場する一場面がある。


話を書くうちに今までの経験がひっぱり出されることがある。
必要であればここにあるすべてがそうなるでしょう。
話書いてるときは「あとで使おうと思ってたのに―」とかすっかりさっぱり忘れているから。今書いているのがすべて。
セーブできたらできたで良いんだけれど、自分には無理そうだ。


あ―、ネタが少ないから使い回すんじゃないか? (我ながらつまらない問いだな)
…それもある。一応いつも新規開拓しようとしているが、思いつくネタは本当につまらないことが多い。
途中でうまくいかなくなるトリックとか。しょぼい。
そういう穴を既存のネタで埋められるかと言えばそうでもない。
だから正しくは「ネタ【のストック】が少ない」で、思いついたらすぐに使ってしまうんだろう。
使い回す意味は別にある。
見直すため、だと思う。
絶対にうまくいくミステリーのトリックは使用回数が限定されているだろう。
応用回数はわからない。盗作など、してはいけないこともある。それ以外はタブーがあるのかあやしい。
たぶん、話を書くことだけに関して言えば。


実は「お茶の話」は使った。所詮2、3行。1度きりではわからないだろう。
また使って、2、3行に収まってしまったらそれでいい。
何度だって取り出して繰り返す。書き手が自分だからできること。
繰り返し描写した回数より現実に存在した場面の方が多いから、自分以外に立ち位置を変えて眺められるなら楽しみたい。
ただ、このエピソードが読者にとっての教訓にはなりえない。
重大なトリックやネタとして用いる気はなく、できれば自己満足だとわからないように持ち出せればいい。
(実験とも言えるかな。しかしそんな高尚なものでもない)


見直しを繰り返す意味は、自分が表現したいことを最大限伝え得る媒体であるかどうか確かめるため。
伝えたいこと自体が題材なら、繰り返し扱うことで伝えられるわけだ。
いくらでも言いたいことがあるとしたら、たくさん書いたっていいと思う。
自分はあまりない。だから5つの中で使い回すとしたら「お茶の話」と「幼馴染の家」くらい。


「ネタ【のストック】が少ない」ことでは困らないという話。
真実困っているとしたら、総合的な知識不足ですかね。
日記のネタは、いつも行動していれば勝手にできる、と気づいた。


こうして小さすぎる風呂敷で、散漫な話をくるめないでいる。
(「ネタが少ない」という話:約2時間、1512文字。見直さない)