機械との対話。

お風呂に入っている間、10年くらい前に考えたネタが頭をよぎったので練り直していた。突っ込みどころが多いなあと感じるのは、多少現実を知ったからなのか。

自分「でもさ、これが開発できちゃったらもう結婚とかどうでもいいと思うんだ」
友人「あーわかる」
自分「だって家事とかやってくれちゃうんだよ? 十分だよ」
友人「だよな、ロボット1台いればいいもんなあ」
(2年以上前の会話。人型のそれを想像したかどうかはもうわからないけれど。)

ロボットに関する話。そういえば10年くらい前に考えたんだっけ?認識の溝(だったか?)とか聞いてびびったり、ね。
学会で12ヶ月それぞれをテーマにしたロボットを1体ずつ発表するとか考えてたみたい。
もちろん話の中で。勉強の有無にかかわらず、書けない気がするんだが。
ありえないだろ、せめて四季にあわせて、なんて思ってる自分。
…大して変わってないか。外見以外にどう変化を持たせるのか考えてないのなら。


平成22年2月22日だって。
友人の誕生日をメール越しにお祝い。
少しほっとした。こっちが癒されてるんだなあ。喜んでもらえて嬉しい、とは別に。
(手放しに祝うのはもう本当大事な人以外にいないから)


CDの取り込み、DropboxSkypeのインストール、キーチェーンアクセスの設定完了。使いこなすために使わないと。
02:22になるのを見届け、就寝。09:10起床。


お昼ごはんはパスタ。上手に食べられるようになるのはいつなんだ。
図書館で本を漁ってたら勉強会の開始時刻を過ぎていた。カバンがいびつで、無駄に重い。



帰りの電車の中で、調べてまとめるための読書。
勉強会のための数学の本、調べものの本2冊とMac関係の本の4冊ある。電車の中で読みきれず。うーん、このまま読めないかも。
ずいぶん前に読んだ記憶があったりなかったりする本を読む。
そうそう、「不気味の谷」でした。なあに? 認識の溝って…。



不気味の谷」とは、日本のロボット工学者・森政弘氏が1970年に提唱した概念。「ロボットに対する感情的反応は、ロボットの外観や仕草が人に近づくにつれ、より好意的になっていくが、ある時点で急激に強い嫌悪感、不快感に反転し、人と見分けがつかないレペルに達すると、また好感に復帰する」というもの。
wikipediaなどでは、Vを描いたようなグラフを見ることができます。
横軸で、対象が右に行くほど人間に似ていることを示し(人との類似性)、縦軸で、対象への反応が、上に行くほど好意的・下に行くほど不快であることを示しています(感情的反応)。
つまり、Vを描いたような落ち込み部分は、「人間に似ているけれど不快」であるわけです。


このような、外見と動作が「人間にきわめて近い」ロボットと「人間と全く同じ」ロボットによって引き起こされると予想される嫌悪感の差を不気味の谷と呼ぶ。

やがて感情的反応が好意的に転じて、回復してくるわけですが…これには問題があって、「本当に人間に近づいて行けば」好感度が増すのか、「人間と全く同じ」になれば好感を持つのか、その基準はわかっていません。
(そもそも、人間と同じと認められるロボットは、どういった判断基準によって決められるのでしょうか…)


ここでふと気づいた。不気味の谷という現象を知って、話を書くのが怖くなった理由。
そのお話の中で自分が想定していたのはたぶん、「人間と全く同じ」外見を持ったロボット。確か、そのヒューマノイドはプロトタイプで、ある大学生にモデルケースとして預かってもらう、という内容だった。すでに日常生活一般をこなせる、とされている。
外見年齢10歳くらいのヒューマノイドと、20歳の彼女が数週間一緒に暮らす。


話は彼女の視点で進むから、開発者が何を目的で彼らを開発したとかそういうことはほとんど知り得ない。ただ、少年の形状や、多少偏った知識や、けれど本当に何も知らないことに、ロボットであることを意識するのか、人間だと思い込んでしまうのか、それともこれはこれ、人間でもロボットでもなく…と思うのか。わからなくなった。


そのときの自分は、彼女がどう思うかなんて、彼女のケースに照らし合わせて考えられもしなかったから、「自分ならこう思う」3番目の選択に持ち込もうとして、失敗した。
彼女は依頼されて彼の面倒(だろうか?)を見る。普通の小学生と同じ扱いをする。
外見・仕草が「自分の考える人間とちがうから」不快や不安をあおるなら、「小学生にしては大人びた行動」「予想外の受け答え」「人間ならあり得ない姿」「彼に対する他の人間の反応」…にも彼女は不安を感じたわけだ。
不安を「子ども特有のもの」と消化できたなら、人間らしさを覚えるだろう。
「ロボットであることを忘れていた」と気づいて焦りもしただろう。
最後には開き直って「自分はこう接することしかできない!」という結論を出す、ということにしていた、はず。


結論を出したとして、彼女が不安に思うのは変わらない。
時々刻々と、不気味の谷を行ったり来たりするものなのかもしれない。(では、時間軸もあり得るかしら)
そう考えると、なんとなく楽になった。
…つまり人間に対する自分の評価と何にも変わらないんだって。
誰かを好き、嫌いと評価することより、むしろわかりやすいかな。
…ものすごく個人的な考え事でした。すいません。
今考えなければいけないこととはちがうことを真剣に考えるのを「逃げ」と言います。



参考文献:(表記がわからないので、とりあえずリンク)
(1) wikipedia不気味の谷現象
(2)

ロボットのいるくらし (B&Tブックス)

ロボットのいるくらし (B&Tブックス)