ナポリタンのうさぎ。

ファイル受信が日付が変わる頃ようやく終了。
教えてもらうまで気づかなかった、iMacクイックルック(click+space)に感動しながら作業。
報告にかかる時間含め、約60ファイル分リストと照合確認するのに1時間ほどかかった。さらにこの後、加工が待っている。ああ、ソフトも入れないと。


02:00就寝、09:55起床。
同期との待ち合わせがあったのに、1時間遅刻確定。とにかく急いで準備、外出。


駅で落ち合い、おすすめの店でお昼ごはんを食べる。居酒屋のランチってなんでこんなにおいしいんだろう…サラリーマンはおいしく安いお店を知っている。
今度は鯖の味噌煮を食べような!と約束し、商店街を突っ切って住処へ向かう。お昼時は本当にスーツの人で混雑してるものなのですね。


予定よりかなり早く到着。ボスに話しかけられ、進級判定の結果について探り合い。ボスは皮肉をちりばめて話す癖があって、よく見るとまるであまのじゃくな反応をしていたりする。上司の助けもあって、なんとなく読めたので、適当なところで別の話題に移した。


同期がそろったところで、数人でボスと面談。そのあと研究テーマの振り分け。
これも結果がある程度わかっていたので、実は今まで通読した論文は自分の担当上司とその界隈のものだけ。そうそう、英論も読まないと。



早めの夕ごはんを食べる友人に付き合った。ナポリタンの皿に、りんごうさぎがいて、ちょっとなごむ。
ヨドバシカメラで買い物をして帰る。
電車が人身事故のため1時間ほど遅れたが、無事帰宅。


人よりどん引くことが少ない。たいてい受け入れる。お笑いのセンスは微妙。
ときどき「なんで突っ込んでくれないの?!」と怒られるけれど、ふーん、としか思わなかったら突っ込む気にはならないだろう。
くだらない冗談にすぐだまされるし、でもまあいいかと思うし、基本あまり疑わない。直感は頼りないので、じゃんけんくらいにしか使わない。根拠をもって判断を下すのは苦手だ。


一番は「理解が遅い」ということで、気づかないしわからないことが多い。理解すればどうにかなるのだとしても、それまでがあんまりなので、「理解はあとでいいから、今は覚えて使いなさい」と言われた。
これは数学の勉強法を指示するコメントだったのだが、あれから5年は経つ今も真に受けて(わかってやっているので、この表現は正しくないだろう)実行している。
数学に限らない。何かしらを受け入れて、まずはそれからだ。


先生という主観を通した数学の授業の方が、まだ教科書のある程度客観な文章よりとっつきやすかった自分は、先生の言うことを鵜呑みにすることにした。理解している人の思考やとらえ方をまね、問題を解く。間違っているならもう一度聴くか、他の人の思考を持ち出して照らし合わせる。後者は自分で考えて判断し、理解しなければならないが、所詮自分が理解できる範囲の話だ。まあ、手抜きした分このときばかりはまともに考える。


システムの出力が初期値(に依存した伝達関数?)次第になっているので、失敗は今でも、いくらでもある。それでも、このやり方よりいい方法が見つからなかった。


数学に限らないので、主義主張趣味幅広く、疑うことがなければそのまましまっておく習慣がある。これまでも、人の影響はほとんどまともに受けてしまっていた。反対の主義主張に出会ってはじめて疑ってかかる。そして、自分の基準をそのときはじめて決める。


なぜ突っ込まない/受け入れるのかと言えば、その主張がおかしいのかどうか、自分の中に判断基準がないからだ。
受け入れておけばいつか生理的拒絶以外の基準を決められる。その中に最適解だってあるかもしれない。


こんなバカバカしいことは書かなくて良かったのかもしれないけど。
大まじめに考えてしまったから、一応。


友だちがおいしいと言うナポリタンを味見させてもらった。
ケーキ用フォークでいっぱいいっぱい巻き付けて食べる自分を見て、友人は「おいしそうに食べるね」と言った。
顔がゆるんだのだろう。
自分も「だっておいしいから」と答えた。
パスタの食感がおもしろくて、味つけも舌にあった。添えてあるりんごうさぎもかわいい。


貧相な経験+αによって、とりあえず反応やら判断をしてはいる。考える順番からして、根拠は後づけだ。
公理と定理を元に説明できること、出力や結果が定められた上で動く場合は、この限りではない。


受けいれる範囲は自力で変えられるはずだから、環境のせいとは言えないだろう。