どこが好き?

(説明ができないことの何と多いこと!)



昨日おとといと勉強会。
加工機がぎゅいんぎゅいん回ってる横で、です。
工作室はホワイトボードと、周囲に9人は座れる机と椅子がそろっており、勉強には最適の環境です。
座学だけしてる住処はうちともうひとつだけなのかな。他のおうちの子は、みんな何かしら作ってるような?


今日は、あるプロジェクトではお世話になったボスの、留学先でのボスが来日講演なさる日(回りくどい?)。
勉強会は全員で自主休講してるうちに金曜休みが定着してしまった。
内容は、とことん研究の話。とっかかりとか、アイディアがまずすごい。で、ZMPとかひさびさに聞いた。ハードウェアの開発を伴う研究。自分の興味がもうそこに無くて、今はまた別のこと考えてるから、なのかな…。少なくとも授業で聞いてた頃とは違うと思うんだ。


あと1週間も通えば引っ越してしまう住処で、なんとなく上司たちと話す。
直属の上司ふたりと、自分とあとさらに上のひとりしかいない状況。
変に静かで、きわどいネタが入りつつ、室温くらいぬるい会話。
そうしてどうしてか、「人を見るとき、どんな風に見るか?」という話に。
(上から下へ、下から上へ? うーん、そうでもない?)
そこでふと目を留める場所があるとして、「フェチ」は無機物に対して用いる言葉だから、つまり、手フェチなんてものはありえないそうだ。
「じゃあなんて言えば…『手好き』?」
自分は女性の手がきれいだと注視してますね。
あと目の色を見てる。目を見て話すうちに自然と。
何色が好みとかそんなのはないです。家族の血筋的な影響含め、ユニークであることがおもしろい。
本当に明るい色の目は、自分のとは違うんだなって思ったことがある。
虹彩の輪郭(と言えば伝わるか)が黒く縁取ってあるのとないのとでは、色だけじゃなく、感じるまぶしさも変わってしまうようだから。


好みって刷り込みと生理的なもので決まると思ってた。さてどうだろう。
好みイコール好きではないんだとはわかってる。
多分あくまでトリガでしかない。自分以外の存在を認識することすらも、トリガに依るんじゃないのかな。差異を拾い上げるためのセンサってこと。その性能で、出会う人間も変わるとしたらおもしろいな。


そういうことを考えて、音楽を聴いてたら電車を乗り過ごしてしまった。
きっと、音楽が良すぎるせいだ。
(BGM:「夜の東側」サカナクション)