書きもののこと、あるいは反応。

悩んだわけではないが、ときどき考える機会があったことについてくどくどと。
結論はないし、思考垂れ流し。理路整然とした話をお求めの人は、ぜひ他を当たってください。

反応の受け止め方

最近の駄文は、女性一人称。出てくる単語…言い回し? は、まあ、いくつかはきわどかったかもしれない。
しかし自分では下品な話を書いたつもりがないので、そういう広告のコメントをされるたびになんとなく怒ったりしていた。
ここで一言:「ここにそんなリンク貼っても商売になりませんよ、やめましょうね」。


そこで先日、「rude」を書いて試すことにした。
やっぱり単語、なんだろうな。人が記事全体に目を通してリンク貼ってるとは考えにくい。
というか、全部読んだあげくリンク…怒りを通り越してちょっと笑える。
嫌がらせだったら、もっと効果的なやり方があるはずだからその線は無し。

伝えたいことの書き方

試したのはそういうサイトからのコメントの有無だけではない(そんな馬鹿な話があったら泣く)。
性別までくくったつもりはなかったのだが、主観を通した経緯の描写を試したかった。
「どうしてそうする / こうなる」のかを当事者が説明することに説得力が増すとかそういう効果が見込めるのだろうか、と思ったくらいではあるけれど。
感情うんぬんもあることだし、面倒くさいかと思っていた。
やってみると、わりと書く気になれば書ける。しかし推敲にはえらい苦労する。
主観で書いたのに、客観で見直そうとするからか…誤字脱字は客観でないと見つからない。
書いていて波があることもわかった。どこかでぴたっと手が止まる。
読者なら、共感すれば同調、そこまでではないとしたらついて行ける部分もあるし、全く理解しがたいことがあれば読みたくなくなるし、という感じか。なんにせよ人を選ぶ。
あくまで自分が両方の立場に立ったなら、というスタンスで考えているから、他の意見があったら教えてほしいところ。


ネタが共通していたのも、書いていて詰まった原因だろうか。
ちなみにネタは「ノンフィクションに基づくフィクションであると考えると笑える」んだが。
事実は小説より奇なり凡なり。
作者は万能じゃない。考えるより産むが易し、という言葉もある。書いてしまってから、「しまった」ということだってままある。
身体的特徴の描写をしようとして、ドツボにはまったときは…どうしようかと思った。


もうこの書き方はしばらくやりたくないな、と思った。
フォーマットとして適していると思えば書くでしょう。書き始めてからそういう形式なのね、とわかることだってある。

書くことに「意味」がある?

過去のことだから言ってしまうと、自分には二次創作の才能は(一次創作よりもずっと)ないみたいだ。
才能、以外の言葉を探してもあまりうまく言えないので、才能ということにしておく。
オーダーがあって、参考文献があれば、テンプレで書けなくはなかったけど。…それはもう三次創作のような。
ベーコンレタスもそう。どちらも、一から設定してどうこうするのは無理だった。
それこそ経緯を説明しないと誤解を招きまくるようなことを言いました、すいません。
書けるかなーと思ってやってみただけだった。完成しなかったし、「あああダメだー!」と叫ぶだけの実感もあった。
わかりやすい指標。「これじゃ読んでもらえない」。
それじゃあ意味がない。誰かの娯楽のためならなおさら。作者の自己満足のためだけでは。


「誰かを喜ばせるために」書くことは昔からうまくできなかった。
「この人が喜ぶか驚くかするであろうことをしでかす」ために書いた。しでかすための制約条件の下で、彼/彼女が活躍する絵や話を書いた。少なくともひとりには読んでもらえるように。読んでもらえるから。
お絵描きや話を書きつづけることができた理由のひとつには、こういうエピソードがなかったとは言わない。
「笑ってもらえる」からバカな失敗談を話す。自分が相手に笑ってほしいから。…この例なら納得する人も多いだろうか。


しかし、なんで書いているんだろうね? おそらく目的はあったんだと思う。今はなんでなんだろう。